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【2-7】「ありがとね」

「ねえ、どうしたの?」 立ち尽くす山田ニーナを見すえて、白井日菜子は再び声をかける。 「……」 それでも何も答えないニーナにしびれを切らしたのか、スッと立ち上がり、彼女の方へと足を進めた。 事前に結構な運動でもしていたのか、ピンクの絨毯に汗が飛び散る。 ニーナの少し前で歩みを止める日菜子。少し前かがみになり、首をかしげ尋ねた。 「何か悩みでもあるの?……弟」 「(弟?)」 日菜子の問いかけで、ニーナの頭に疑問符が浮かんだ瞬間、目の前に『白井弟』が、『ぽわっ』と煙のように現れる。 しかしその姿は、完全に黒で塗りつぶされており、影絵がそのまま飛び出た形のようである。 あらかじめ姿形を知っているからこそ、白井弟と判別できるのかもしれない。 それを見てニーナは確信する。 「(ああ、なるほどな。これは……)」 「白井弟の記憶か」 そう、彼に刻まれた過去の情報、大事な思い出の欠片、それがフラグメントの内面世界で具現化されたものが、この場の正体だった。 もちろん思い出の一部であるため、介入などできない。 それを理解したニーナは、二人のやり取りを『透明人間の立場』で、見守ることを決める。 「ね、姉ちゃんこれ……」 白井弟が、少し恥ずかしそうな仕草で、日菜子へと手に持ってるものを差し出した。 「ん?何?」 それは、上部をクリップで留めてまとめた紙の束だった。合計20枚ほどはあるだろうか。 受け取った日菜子が、パラパラと中身を確認する。 「弟…これって」 「うん、この町周辺で『遊べるとこ』とか『料理がうまい店』まとめたやつ。姉ちゃん、学校行くようになったろ。でも、編入組だからクラスにいきなり溶け込むのキツイかな~って。だからこう、何か話すきっかけに、こういうのあった方がいいと……思って…さ」 ソワソワした仕草をしながら説明する白井弟。最後の方は、少し自信なさげに言葉が詰まる。 「いらない」と言われたらどうしよう。そんな不安が見て取れるような様子だった。 「へえ」っと日菜子は、少し感心した様子で、再び中身を確認し、そして尋ねる。 「これ、わざわざ私のために?」 ビクッと、体を縦に震わせ、あからさまな動揺を見せる白井弟。 「ち、ち、ちげーって!今度、友達と遊びに行くから、調べただけで!ついでだから…本当ついでだから、姉ちゃんにもおすそ分けしただけだって」 「でも、これ、10代の女性に大人気のスイーツ店とかあるけど」 「!? いや、それは…そう、写真映えするデザートとか探してたのが、たまたままぎれこんで」 「弟って、恋愛映画とか好きだったっけ?今世紀、最大のラブロマンスがピックアップされてるけど」 「グッ……それは、それはぁ…………」 「あっ、そっか、一緒に遊びにいく友達って女の子なんだね。頑張ってね、弟!お姉ちゃん、応援してるよ」 「あっ…あう~……」 ニコニコしながら、グッとガッツポーズを見せる日菜子を見て、肩を落とす弟。 「…じ、じゃあ、オレはこれで……おやすみ、姉ちゃん…」 「あっ、待って、弟」 ゾンビのような仕草で方向転換をする弟を引き止め、胸元に彼の渡したレポートを掲げる日菜子。 そして。 「ありがとね」 光り輝くまぶしい笑顔で、喜々とした明るいトーンで、姉は弟に感謝を伝えた。 「っ~~~~~~!!!!!」 白井弟が、先ほどとは比べ物にならない動揺を見せる。 しかしながらその揺らぎが、先のモノとは全くの別物なのは一目瞭然。仮に犬ならば、はしゃぎすぎて耳やしっぽをブンブン振り回し、竜巻でも起こすのでは?と思わせるほどの『歓喜』からくる高揚だと見て取れた。 「よよよよよせよ、姉ちゃん!お礼とかいいから、姉ちゃん!自分の為に調べただけだから、姉ちゃん!あっ、そそそそうだ!風呂沸かしといたから姉ちゃん!そんだけ汗かいてんだから、早めに入れよな姉ちゃん!風邪ひくなよ姉ちゃん!じじじじゃあ…おじゃまひました!!」 そう口早に告げ、ダッシュで部屋を飛び出す白井弟。 <バタン> と、弟が扉を閉めた瞬間、ニーナがいる場所は、部屋の中から『廊下』へと移り変わった。 目の前には、黒影の白井弟が、両手でガッツポーズを作り、はしゃいでいる。黒一色の姿でも笑顔だと分かる彼が、心の声で叫ぶ。 「やった!やった!やったああああ!!姉ちゃんにお礼言われた、姉ちゃんが笑ってくれた!!ヤッベー!超うれしい!!例えるなら……例えなんてできるわけねーだろ!!アホか!姉ちゃんの笑顔と肩並べられるモノなんてあるはずがないだろーが!」 そう自分で自分にツッコミを入れ頬を叩くと、一度深呼吸して先を続ける。 「これからも色んな事を調べよう。姉ちゃん風呂好きだから、各地の温泉とかいいかもしれないな!そうやって、少しずつ姉ちゃんの喜ぶ事増やしていこう。姉ちゃんの一番の幸せ、バレエでの一番星(エトワール)までは……足を治して復帰させるまではまだ遠いけど……日常の中だって、普通の生活でだって、姉ちゃんの幸せは見つけられるはずだ。そうだ、オレがやるんだ!オレが…」 『姉ちゃんの幸せの選択肢を増やすんだ!』 まさに夢への決意、未来への希望にあふれた前向きな弟の心色に、何気ない廊下の景色までがキラキラ輝く。 「(こいつ、本当に、自分の姉の事が好きなんだな)」 そうニーナが顔をほころばせるほどに、目の前の光景は、清々しく、心地の良いものだった。 しかし、それは長くは続かない。 「けど…」 <ガシャン> 白井弟の暗い声色をスイッチに、世界が完全な闇に包まれる。 元々、黒影だった白井弟は闇と同化し、代わりに蕾の形をした『フラグメント本体』が、ニーナの目の前に現れた。 フラグメントからは、『紫色』の禍々しいオーラがあふれ、不吉な気配を漂わせている。 大きな蕾が…白井弟の想いが、言の葉の続きを紡ぐ。 「なんで、なんで電話に出てくれないんだよ姉ちゃん。事故か事件に巻き込まれちまったのか?オレが…オレが姉ちゃんの選択肢を増やしたから。姉ちゃんの行動範囲を拡げたから。オレのした事は間違ってたのか!?…… 帰らなきゃ、星ノ宮に帰らなきゃ。今すぐ姉ちゃんの元気な顔を見なきゃ…オレは、オレは!!」 その狂乱に等しい悲鳴を聞いて、ニーナは瞼を閉じる。閉じて心の目を開く。 「(そうか、こいつの暴走の起点は…そういう事だったのか…)」 自身の胸に手を当て、思い出す。 「(私にもあった。お姉様の身を案じて、重荷にはなりたくないと、自分の想いさえ捨てる事を選んだ時が…。ただ、お姉様の幸せが欲しくて)」 スッとやさしく目を開き、ニーナは、白井弟フラグメントへと両手を伸ばした。 想いをこぼさないように。思いを『救い』取るように。 「チッ…」 クセである舌打ちをかますニーナ。しかしそれは、いつものような苛立たしさからくるものではなく、どこか安心感を感じさせるものだった。苦笑まじりの顔で言う。 「なんだよ…。男だったとしても…、化け物みたいなフラグメントの形だったとしても…」 ニーナの指輪が『青』く輝き、その光が『紫』色の不安を消し、そして。 「私と同じじゃねぇか」 ニーナがそう微笑むと、フラグメントの内側からまばゆい光が溢れだし、世界の闇を全てかき消した。 その中心、蕾の中の想いの綺石は『星』の形に輝いていた。

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