『エモい』が口癖になっている。そのピアノエモいねとか夏の終わりにカゲプロの曲を聞きながら1人で歩くのがエモいとか今日わたしが発した言葉のうち20%くらいは『エモい』に占められているのではないか。『エモい』の濫用である。語彙が『エモい』に侵食されている。
意味や定義がいまいち判然としない言葉であるが、わたしは『エモい』を「死にたくなる」に近い意味で使っていると思う。例えば桜が散る頃に降る雨、サナトリウムの白い壁に描かれた鯨の絵、そういうものを見聞きしたとき、既に失われたいつかの美しい思い出が目に浮かぶ。初めて見た風景が自分の記憶にある情景と繋がってしまう。美しい過去は現在の平凡さ、醜さを突きつける。だから死にたくなる。
汎用性が高すぎる故に、人によって少しずつ異なる『エモい』の解釈があるだろう。他者と肩を並べて同じものを見聞きし、「エモいね」と言い合うとき、わたしたちは人それぞれに違っているはずの感想を同じ言葉で語っている。「わからない」ことを共感できる。「何でもかんでも『エモい』で済ませる奴は語彙が貧困」とも言えるけれど、ときにその意味の広さ、懐の深さが自分と他者を繋いでいることに気づく。(文・小宵)
すべらき
2020-05-27 15:25:05 +0000 UTC