IllustratorsLeak
pokachurorichu
pokachurorichu

fanbox


絵のこと雑談タイム

いつもご支援ありがとうございます。ぽかちゅです。


ツイッターで書いてたけど長くなったのでこちらに…

今日ふと思ったのですが絵を描くのって究極的には自分の中で収束させるのが一番幸せなのではないかと…


絵を掲載した時に「思ったより反応をもらえなかった…」とがっかりして

それまでの自分の頑張りが全部無駄になったような感覚とか

仕事において自分より他人の方が必要とされてるように見えた時に自分って必要とされてないんじゃないかみたいな感覚とか


そういうの結構~あると思うんですけどね


自分にできることって自分自身の事だけじゃないですか

他人がどうするかはその人が決める事であって

自分が決められることではない


だからそこで悩んだり怖がったりして自分の行動や表現を狭めるよりも

自分の表現したいものやりたいことをまず考えて、それからそこに他人がいたら

その人に対して自分がどうしたいか、何をどこまでしてあげられるのかを考えて

それを実行するっていうんですかね

で、それができたら良しとする、という感じでしょうかね

そこまでで満足する、の方がいいかな


自分が誰かの為に絵を描いて

その人がその絵で満足してくれなかったとしましょう


ただその時に自分ができること、満足してもらえるように一生懸命取り組んだのであれば

そこで満足すべきなのであってその先でがっかりするような事はないほうがいいんだろうと


その方がずっと気を楽にして絵を描けるだろうし、表現も今よりずっと広げられる気がするので

いいんだろうな~と


仕事の場合は責任もありますからもちろん、満足してもらえなかった場合に満足してもらえるまで頑張る、という事も必要ですけどね


心構えとして、それまでの行為が満足してもらえなかったことによって無駄になったような気持ちになるよりも

それまで自分が満足してもらえるように取り組んだ事それ自体はちゃんと認めて満足した上で

改めて問題点について取り組んだ方が素直な気持ちで楽に向き合えるだろうという気もするわけですよ



「嫌われる勇気」のアドラーの心理学の受け売りなんですけどもね…



つまりあんなに怖かったリテイクも怖くない!

喜んでもらえるだろうと思ったら怖がらずに提案していけ!

的な感じですね


ツイッターでいったんですけど「自分の為に自分の絵を描いたら自分の思うように自分の絵を幸せにしてやれるし」ていうのと同じくらいに

他人に対しても、それが自分であるかのように他人を喜ばせる為の絵を描いて、幸せにしてあげられるように働きかけるっていうのは

考え方としては自分にはしっくり来るかな~と


そういえば自分で同人やる時に同人グッズ作る時はいつも

まず自分が欲しいかどうかを前提に考えてから作るようにしてましたけども

あれは楽しかったし自分の満足度が第一だったんで

そういうことだったのかもなあと思いましたね



人それぞれ絵の向き合い方も違うだろうし向き不向きはあると思いますけど

僕はそこに優劣とか上下とかなく皆横一列で並んで歩いてるものだと思って生きようと思います


これも嫌われる勇気の受け売りなんですがね


以上です





More Creators